まかせて安心の治療家です。

国立身体障害者リハビリテーションセンター
元理療教育課長
山木 清太郎

 事故で失明された井手さんは、40年ほど前、国立塩原視力障害センターで、あんま師・はり師・きゅう師になるために勉強し、課されていた5年間の法定期間を終了後、栃木県知事の試験に合格して卒業しました。

 在籍時代、強く記憶に残るのは、私の授業で実際の鍼を手に取り、種々比較しながら用途・作用について勉強している姿です。一人、井手さんだけが太い20㎝以上ある中国鍼を自分の足に通していました。たくさん、卒業生を見送りましたが中でも数少ない、探究心・向上心を伴う行動力の持ち主でした。

 その後、私が同じ国の施設である福岡センターの教務課長を務めていた頃、(雲仙普賢岳災害の2年後)法律改正で、知事試験は国家試験になり、また客観性などの問題で実技の試験が廃止され、学科のみとなりました。当然、学科変調・実技軽視から施術力の低下が問題視されていました。

 そんな中、たまたま佐世保市在住の卒業生から、地域医師会で会員相互の勉強会や技術研修で活躍し、信望厚く地元で頑張る井手さんの消息が伝えられ、再会しました。井手さんには時間をつくっていただき、生徒に治療の実際を見せてもらい、治療の体験もさせてもらいました。その後私が職を辞しておよそ20年、今も親しくお付き合いさせて頂いております。

 井手さんは卒業後すぐに、はり灸の学術団体東洋はり医学会に入会し、毎月10年間東京まで通い、経絡治療を身に付けられました。 佐賀県保険鍼灸師会では副会長として、鹿島市保険鍼灸師会では現在も会長として、20年以上に渡って師会を牽引しています。 一方では、治療の幅を広げるために、食べ物を医薬として用い、病を治す食養療法を、大森英櫻・牧内泰道の両氏につき、6年間学びました。そしてこれを県民の健康向上のために役立てたいと、佐賀県食育推進委員となり、現在も自院で要望を受け東洋医学を生活に生かす勉強会を開催するなどしています。
強い向上心と行動力があり、30年以上に渡る臨床家としての経験と実績を持つ、かんぽう堂井手英善さんの更なる活躍を期待しております。

名声、実力ともに達人と言える先生です

東洋はり医学会長崎支部三代目支部長
みやはら鍼灸院院長
宮原 政光

 東洋はり医学の脉診流経絡治療は、一般的な鍼灸院で行われています鍼を深く刺す現代的な治療とは全く異なります。五臓六腑の働きを正常化し、お体が本来もっている自然治癒力を最大化し、治療者の技術で治すのではなく患者さんが自分の力で治る壮健な身体を目指す、東洋医学本来の治療術です。

 鍼灸術は肩こり・腰痛にしか効かないと思っている方が多いですが、上述の理由から運動器疾患以外の痛みを主な症状としない、めまいや高血圧・婦人科疾患やアレルギー性疾患など適応症がたいへん広く、また東洋医学は本来養生術・長命法として発展した治療法ですので、治療を重ねれば重ねるほど高い効果があります。

 井手英善先生は東洋はり医学会長崎支部に1982年に入会され、これまで鍼灸術の研鑽と伝承に精力的に取り組まれてきました。

 脉診流経絡治療は優れた治療術ですが同時に習得が大変難しく、高齢化による会員の減少もあり、一時期長崎支部は解散の危機に瀕したこともあります。しかし井手先生が副支部長及び学術部長兼会計部長の重責をもってこれまで支えてこられ、現在長崎支部は勉強熱心な方が多く集まるにいたっております。この他にも1987年から自院にて見返りを望むことなく夜間勉強会を開くなど、私自身もとても尊敬しております人望の厚い先生です。

 治療の実力においても、1983年から10年間東京の東洋はり医学会本部に通われ、そして長い経験と絶え間ない研究により、視力が無いとは思えない手さばきをされ非常に高い技術をお持ちで、食養道場の屋号のとおり食事の知識も豊富な先生です。